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福島家庭裁判所 平成元年(家)442号

主文

本件申立を却下する。

理由

1  申立の趣旨及び申立の実情

別紙家事審判申立書(写)の中の「申立の趣旨」及び「申立の実情」欄記載のとおりである。

2  当裁判所の認定した事実

申立人提出の各資料及び家庭裁判所調査官作成の調査報告書によれば、別紙

「申立の事情」中、1ないし4、6の事実を概ね認められるほか、次の事実を認めることができる。

(1)  不在者は、渓流釣り専門の釣り好きで、釣り歴約20年の経験者であり、これまで休日には早朝から釣り仲間らと○○市郊外の沢に入り、渓流釣りを続けてきており、又、山歩きを好み、山菜の時期には山に入って山菜を採ることを趣味としていた。不在者は、当時満57歳で、心身の状況には特に問題がなかったが、糖尿病の気があり、血圧も高めであった。

(2)  本件失踪時の釣行に同行した山口一郎(当時51歳)は、渓流釣り歴10年を超える経験者であり、シーズン中は毎週のように○○川の支流の○川方面に岩魚釣りに出かけ、この方面の地理に詳しく、更に、山菜や茸の季節にはそれらの採取で山に入ることが多く、冬季は猟友会員として狩猟を楽しみ、その他○○市○○地区○○協会理事、○○市○○協会副会長の役を務め、ソフトボールや綱引などのスポーツも得意な人であり、不在者とは同じ町内に住む渓流釣り、山菜採りの仲間として行動することが多かった。

(3)  不在者が岩魚釣りに出かけた昭和63年5月22日は、天気予報では降雨の確率が多いとされていたが、○川が流れる○○市○○町○○地区では、同日午後7時ころまでは降水が無く(降水があっても毎時1ミリメートル未満)、同日午後7時ころから翌23日午前零時までの5時間に毎時1ミリメートルの降水量が記録され、同日午前零時から午前2時ころまで毎時3ミリメートル、2ミリメートルの降水量となったが、その後午前8時ころまで再び毎時1ミリメートルの降水量となった。また、気温は、同月23日の午後6時ころまでは○○市街地より1~2度低い13度から18度を保ったが、降雨が始まった同日午後7時以降翌朝の夜明ころまでの間は9度台の気温が記録されている。

(4)  不在者らは、旧国道○○号線と○川上流の交る辺にバイクを置き、そこから○川本流に入って下流に向かって北上し、23日午前6時40分ころ、○川本流と○○川の合流地点に達し、そこから左方(西方)の○○川に入って釣り上り、同日午前11時ころ、南西(左方)から流れて来る○○川本流と北東(右方)から流れて来る○○窟沢との合流地点に達し、そこで2名の人と出会って会話を交わした後、旧国道○○号線へ通ずる左方の○○川本流を遡らずに、旧国道○○号線からますます遠ざかることとなる右方の○○窟沢を釣り上って北上し、合流点から約1キロメートル余のところに2人の釣竿を、更に1キロメートル程上流に2人の足跡を遺して、不在者らは消息を絶ち、大がかりな捜索活動が行われたが、現在まで不在者らの生死は全く不明である。

(5)  申立人は、2人の娘が結婚して別所帯を持ち、不在者の母(80歳、年金受給者)との2人暮らしをしているが、不在者の失踪により昭和63年7月から不在者の勤務先からの給料支払が停止され、二女の結婚や不在者の捜索その他で出費が嵩んで生活に窮する状態となり、遺族年金や生命保険のより早い受給を望み、危難失踪に当るものとして、失踪から1年余を経た平成元年6月17日本件申立をした。

3  当裁判所の判断

申立人は、本件につき危難失踪の適用を求めているが、民法30条2項に定める「死亡の原因たるべき危難」とは、地震、台風(暴風雨)、洪水、山崩れ、雪崩など、それとの遭遇により死亡の可能性が極めて高い一般的事変及び断崖からの転落、熊などの野獣の襲撃などの個人的な遭難をいうと解すべきところ、上記認定の事実によれば、不在者が前記一般的事変に遭遇した者でないことはもとより、どのような個人的な遭難に遇ったものか不明であり、他に不在者が死亡に至るべき危難に遭遇したことを認めるに足る資料はなく、不在者が民法30条2項の規定する「危難」に遭遇した者であると認めることはできない。そして、不在者が失踪してからまだ1年余の期間しか経過していないことは前記認定のとおりであり、民法30条1項の普通失踪の要件を具備しないことも明らかであるから、本件は失踪宣告の要件を欠くものとして却下することとする。

(別紙)

家事審判申立書

(中略)

申立の趣旨

不在者に対し、失踪の宣告を求める。

申立の実情

1 (不在者の経歴等)

不在者は、○○大学経済学部卒業後直ちに、○○信用金庫に入り、昭和34年4月21日申立人と婚姻し、申立人との間に長女良子、次女朋子が出生した。不在者は、総務部長を最後に、昭和61年○○信用金庫を退職し、以来○○信用金庫の子会社である○○商事株式会社の支配人の任にあった。

2 (不在者の失踪状況の概略)

不在者は、昭和63年5月22日午前4時頃自宅を出て、友人である山口一郎(以下山口という)と2人で○○市○○町の○○山へ渓流釣りに出かけたが、同日午前11時半頃同町の○○川支流の○川から北へ約4キロの地点で知人に会ったのを最後に消息を絶っている。

同日午後8時頃より家族による捜索がなされ、続いて翌23日午前6時頃より福島県警○○署による捜索、さらに24日には県警本部機動隊、地元消防団約130人を動員しての大掛かりな捜索がなされた。その後も約2週間、範囲を広げながら延べ1、200人を動員しての捜索が行われたが、捜索の当初に2人の自動車、バイク、釣竿などが発見されただけで、何ら手掛かりを見つけることはできなかった。

捜索本部による捜索打切りの後も、家族および県猟友会のメンバーらによる捜索は同年11月6日まで続いたが、依然として不在者および山口の消息は不明である(なお捜索の詳しい状況については後述)。

不在者が消息を絶った場所付近は残雪も多く、地形的にも危険な場所であり(添付地図(編略)参照。川べりは多く崖になっている)、加えて、22日夜からは雨が降り続いたために川は増水していた。また時折霙模様となるほど気温も低く、霧もたちこめるなど気象条件も最悪なものとなっていた(○○地方気象台長作成による気象観測資料参照)。○○山周辺の地理に詳しい登山の専門家によると、現場付近はブナ林が続き、辺りが同じ景色のために方向感覚を見失い道に迷ってしまう難しい場所であるという。

以上の状況から、不在者および山口は道に迷っているうちに、崖からの転落など何らかの危難に遭遇したものと思われる。2人は食糧、服装ともに不十分であり、とくに不在者は付近の場所に不案内であるため、今日に至るまでその消息が知れない以上、その生存の可能性は絶望的であるというほかはない(○○市消防団第12分団分団長作成による意見書参照)。

3 (不在者の失踪前の生活状況)

失踪当時、不在者の家庭生活は円満であった。長女に孫が誕生したうえ、次女の結納が調ったばかりで、数か月後の結婚式を楽しみにしていた。また、不在者は6月には申立人および不在者の実母の3人でハワイ旅行に行く予定でパスポートを取得していた。また、不在者は当時、○○商事の支配人であったが、その経営も順調であった。したがって、自殺、家出などの可能性は全くなかったといえる。

4 (危難失踪の解釈について)

民法30条2項は、不在者のうち、とくに危難に遭遇した後生死が分明できない者についての失踪宣告について規定している。同条にいう「死亡ノ原因タルヘキ危難」とは、それに遭遇すると人が死亡する蓋然性が高い事変をさすものであるが、不在者の遭遇した事変がこの「危難」に当たるか否かについては、事変の具体的内容、事変の前後の状況、失踪者の具体的事情、その他を総合的に検討して判断するべきである。(仙台高裁昭和62年2月17日第2民事部決定・判例タイムズ641号193頁は、このような見解のもと、強風下の漁港に係留中の船舶の点検に行ったまま戻らなかった場合を同条にいう危難に該当するとした。)したがって、本件の場合には失踪時の状況、気象条件、捜索状況、家庭環境などを考慮すると、同条にいう「死亡ノ原因タルヘキ危難」に遭遇したと考えるのが相当である。

5 (失踪宣告の必要性)

以上のような状況下で、不在者は行方不明となっているが、その捜索は数か月にもおよび、その間の家族の心労はもとより、それに要した費用は莫大である。捜索費用は関連する諸経費を含めると、約300~400万円にものぼる。この費用は周囲からの援助および不在者の信用金庫の退職金から捻出したものである。失踪当時、申立人は不在者およびその母と3人で暮らしており、その生計は不在者が維持していた。現在は、家計支持者が不在となり、しかもその生死が不明であるため、申立人は厚生年金の給付も受けることができない。また、生命保険に関しても同様である(なお、郵政省の簡易保険に関しては捜索に当たった消防団長による現認書に基づき死亡保険金300万円が既に支給されている)。また、不在者は当時○○商事の支配人であり、現在はその前任者が便宜上その経営に当たっている。しかしながら、このように長期間不在であり、しかもその復任の可能性がない以上、死亡を前提に正式に職務を整理する必要がある。

6 (失踪時の詳しい状況および捜索の経過)

5月22日

不在者は昭和63年5月22日午前4時頃、友人である山口一郎(○○市○○町字○○××-×、洋服店経営、当時51歳)とともに、それぞれの自動車に小型バイクを積んで同市○○町の○○山(添付地図(編略)参照)へ渓流釣りに出かけた。不在者にとって同地は初めての場所であり、付近に多少の土地勘を有している山口の案内で出かけることになった。

当日は朝食をとったのち、昼食用に2人分のおにぎり弁当を持って、母カヨおよび妻和子が見送る中を出発した。通常、不在者が釣りに出かけた場合には遅くとも夕方には帰宅していたし、それ以後になる場合には電話などにより家族に連絡をとっていた。ところが同日は夜になっても何の連絡もなく帰宅しないので、山口の家族とも連絡をとり、2人の帰宅を待った。

5月23日

翌23日早朝より不在者の甥である佐野洋平が探しに行ったところ、山形県境に近い○○号国道・○○○トンネルの○○市側の入口に2人の自動車2台があるのを発見した。不在者の自動車の中には、着替え、運転免許証、財布などが残されていた。そこで同日午前6時頃、福島県警○○署に捜索願を出した。○○署の捜索は午前10時半頃から開始されたが、これ以前の午前6時頃に山口の娘婿の坂田誠の捜索により、同トンネルから北へ約4キロ入った山中(○○○○橋たもと)において2人の小型バイクが発見されている。

○○署の捜索により、22日早朝から午後零時半頃まで間に、同山中において不在者の知人2人を含む4人が、2人を見かけていることが判明した。○○川支流の○川から北へ約4キロはいった支流付近において2人に最後に会った者によると、2人はビクに岩魚数匹を入れており、釣りの話を交わしたのち、「これから林道を通って帰る」と言って、○○沢の奥へ向かって歩いて行ったという。○○署では、2人が道に迷ったか怪我などにより動けなくなった可能性があるとみて捜索に全力を挙げたが、2人を発見することはできなかった。

この日は、○川の上流、下流、山林の3班に分かれて、○○署員、地元消防団、釣り仲間、家族ら約90人により午後6時半まで捜索が行われた。○○号国道・○○○トンネルから約500メートル北働の橋に捜索隊の前線本部が設置された。

5月24日

午前7時より捜索は再開された。県警本部機動隊、○○市消防団第12分団など約130人を動員して4班に分かれ、○川支流の○○沢一帯を捜索した結果、○○○沢において2人のものと見られる足跡と釣具が発見された。県警へリコプター「ばんだい」も午前8時から午後3時まで出動し、空からの捜索に当たった。22日からの連日の雨に加え、厳しい冷え込みが続き、捜索は難航した。また午後2時すぎからはガスが発生し、視界が悪くなったため、対策本部は午後5時すぎに捜索を打ち切った。

5月25日

午前7時半より捜索再開。○○署、地元消防団、県猟友会○○支部のメンバーら約150人を動員。○川から北へ移動し、○○山山頂より○○川に向けて降りるローラー作戦を展開するという大掛かりな捜索を行った。対策本部も○○川に移動したが、2人を発見することはできなかった。現場付近は霧が発生し、視界が悪く小雨模様。急斜面も多く深さ1メートルを超える雪渓が残る地帯であるため捜索は難航した。手掛かりもなく、午後5時すぎに捜索は打ち切られた。

5月26日

午前7時半より捜索再開。○○署、地元消防団、県猟友会○○支部メンバーら約70人を動員。2人が○○窟沢から旧国道○○号に向かって南下した可能性を考慮し、○○川本流と○川本流、旧国道○○号により囲まれた山あいを中心に捜索した。捜索開始後初めての晴天に恵まれ、県警へリコプター「ばんだい」も出動し、空からの捜索に当たったが、2人を発見することはできなかった。

5月27日

午前7時半より捜索再開。約100人を動員し7班に分かれて、すでに捜索した地域について再度の捜索を行った。捜索本部を○○○○トンネル北側に移設。さらにへリコプターにより○○山の尾根、○○川窟沢、○○沢などを空から捜索した。この結果、○○川と同川窟沢の分岐点から北へ上流に1キロの土手において、山口の釣竿が発見された。また、同分岐点より約300メートル上った高さ約8メートルの滝つぼに、不在者の釣竿が浮いているのが、発見された。また、山口の釣竿が発見された地点から1キロ上流の沢において2人組の足跡が確認された。

5月28日~6月4日

捜索は続行されたが、手掛かりがなく、捜索隊の人数も5月30日からは30人前後に縮小された。○○川窟沢流域を中心に捜索。

6月5日

午前7時から県猟友会メンバー、○○署員など約80人により、○○川窟沢流域と○○山山頂付近を中心に捜索。2人を発見することができないまま、5月23日の捜索開始から2週間を経過し、延べ1、200人を投入しての対策本部による大掛かりな捜索は打ち切られた。

6月6日~6月12日

県猟友会メンバーが中心となり、1日あたり約40人による捜索が行われた。

6月13日~11月6日

日曜日、祭日などに県猟友会、家族、知人らによる捜索が継続的に行われたが、2人を発見することができなかった。以後は付近への立ち入りは危険となり、捜索は不可能となった。

平成元年5月より、日曜日、祭日などに家族による捜索が再び行われているが、依然として何の手掛かりもないまま、今日に至っている。

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